安福の経歴
昭和55年4月1日 兵庫県美方郡村岡町熊波の井上七五三松方に生まれる。名号「福美」、母牛は「ちずる」。
昭和55年11月5日 兵庫県養父郡養父町上藪崎の木村鉄夫氏が種雄牛として育成。
昭和56年6月16日 県有種雄牛として岐阜県が購買。
昭和56年6月29日 岐阜県種畜場(現畜産研究所)に繋養(けいよう)。
昭和56年7月21日 上松知事により「安福」と命名。
昭和57年4月9日 本原登録受検し、登録点数82.7。
昭和57年8月20日 後継種雄牛第一号生まれる。名号「安栄」。
昭和59年5月30日 岐阜県種畜場(現畜産研究所)で産肉能力間接検定終了。1日当たり増体量(DG)0.83kg、脂肪交雑+4.1、ロース芯面積49平方センチメートル。県内歴代最高の成績。
昭和60年11月 育種登録受検し、登録点数83.4、黒育180。
昭和61年 「安福」の交配ブーム。
昭和62年9月7日 第5回全国和牛能力共進会に岐阜県は全頭安福号の産子で参加。優秀な成績を挙げた。とくに去勢肥育牛の部で肉質等級特選で出品牛33頭中総合順位第2位。
平成3年 「安福」の産子は枝肉上物率が高く全国の注目の的。子牛価格は全国一高値。各種枝肉共進会、共励会で上位独占。昭和56年から平成3年までの産子数は25,043頭にのぼり、「安福」の産子を中心に飛騨牛の銘柄定着化。
平成4年5月18日 第6回全国和牛能力共進会系統去勢肥育牛群の部で総合5位、歩留り、ロース芯面積の2部門で特別賞を受賞。
平成4年10月16日 関係者の協力で「安福号顕彰像」が肉用牛試験場(現畜産研究所)に、飛騨牛宣伝像が高山市飛騨の里に完成。
平成5年5月17日 老齢からくる後肢の神経炎により起立不能な状態に陥る。
平成5年9月28日 職員の懸命な治療と看護により一時回復したものの遂に完治せず、呼吸不全により死亡する。
安福の功績